平素は格別のお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。
さて平成18年に先代社長亡き後、中木マサ子が代表取締役として就任し、現在に至っております。目まぐるしい現代社会において貴重な時間を活かしながら常にお客様の立場で考え、技術の研鑽に励み、良品製造に最大の努力を重ねてまいりました。
今日まで頑張ってくることが出来ましたのも皆様のご尽力の賜物と感謝致しております。
これからも新しい技術と、独創的な発想でユーザー様に必要とされる会社になる様、さらなる発展を目指し丸本鈑工一同努力邁進致しますので、今後とも尚一層のご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
代表取締役 中木マサ子
- 社是
- 品質は我らの命
よい製品(もの)を造り社会に貢献することが我々の使命である - 社訓
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- 1.生き甲斐
- 心を正して仕事を愛し、皆を愛し、会社を愛し、生きがいを持つ
- 2.自己鍛錬
- 正業を志して読む、書く、聞く、考える努力をし自己を鍛錬する
- 3.企画力
- 皆の幸せの為に、付加価値の高い企画を生み出す
- 4.皆の力を最大化する
- 皆の成功を願って皆の力を大切にし、皆の力を最大化して幸福な未来を築く
- 経営方針
- 私たちは顧客ニーズと信頼に応えるため、法及びルールに従って良い製品を作り、各取引先と会社の永続的発展のため全社員一丸となり、目標実現に向けて努力し適正な利潤を得て、社会に貢献し、社員に還元する。
- 設立
- 昭和44年3月24日
- 資本金
- 1,000万円
- 従業員数
- 20名
- 主要取引先
- アズビル金門株式会社
株式会社太陽機械製作所
株式会社ディード
キヤノンメディカルシステムズ株式会社
株式会社東京自働機械製作所
昭和44年3月 | 福島県伊達郡梁川町字大町裏78番地において、資本金100万円にて 丸本鈑工有限会社を設立。 北芝電機株式会社を主要取引先として操業を開始する。 中木崇文代表取締役就任 (父六代直右衛門没後、昭和五七年七代目直右衛門襲名) |
昭和45年4月 | 金門電気株式会社(現アズビル金門株式会社)と取引開始。 |
昭和47年6月 | 資本金を200万円に増資 東信電機工業株式会社と取引開始。 |
昭和55年4月 | 会社組織を変更、丸本鈑工株式会社とする。 |
昭和55年8月 | 資本金を600万円に増資 |
昭和57年12月 | 株式会社東京自働機械製作所と取引開始。 |
昭和58年4月 | 福島県鉄工機械工業協同組合と取引開始。 |
昭和59年10月 | 株式会社東芝那須工場と取引開始。 |
昭和62年3月 | 株式会社太陽機械製作所と取引開始。 |
平成2年4月 | 株式会社東芝那須工場とオンラインによる取引実施。 |
平成3年12月 | 株式会社太陽機械製作所山形工場協力会加入。 |
平成4年2月 | 株式会社東京自働機械製作所協力会加入。 |
平成4年5月 | 工場を梁川町字元舟場85番地の1に新築移転。 資本金を1,000万円に増資 |
平成10年1月 | 中木鉄雄代表取締役就任 |
平成17年7月 | 中木嘉門代表取締役就任 |
平成18年4月 | 中木マサ子代表取締役就任 |